宗教二世としての生きづらさに大きく影響しているのが、
「語りにくさ」と「自分の不在感」。
それらを、どう解きほぐせるのでしょうか。
私が過去にカウンセリングを受けたときのこと。
そのときに使われた「洗脳」という言葉は、
当時の私には、かなり重たく胸に深く突き刺さるものでした。
外から見れば「おかしい」と映る価値観や習慣があったのだと思います。
けれど私にとってそれは、日々を支えてきた“当たり前の暮らし”であり、
親が大切にしてきたものでもありました。
今振り返ると、その頃は、過去に向き合う準備や、
自分の人生に責任を持つ覚悟が十分ではなかった時期ではあったと思います。
でも、だからこそ、宗教二世のように複雑な思いを抱える人にとって、
一つの言葉で断じたり、急いで枠にはめることは、
心を閉ざすきっかけになりうる──それを私は身をもって学びました。
だから私は、安易なラベリングに頼らず、あなたの体験に丁寧に・やさしく・誠実に、
そして必要なときには、深く焦点を当てるカウンセリングを大切にしています。
あなたのペースで、安全に言葉を見つけていける場でありたい、それが私の願いです。
宗教二世の当事者として
親の信仰を背景に育った「宗教二世」。
「信じなければならない、それ以外に選択肢はないと感じていた」
「幼い頃、親の価値観がすべてだったから、自分というものがどこか空っぽに感じる」
「”正しさ”に生きようとした。けれど、自分の気持ちは置き去りになっていた」
──そんなふうに、生きづらさや心の痛みを抱えてきた方は少なくありません。
私自身も宗教二世として育ち、
信仰や家族に関わることを、心の中で長く葛藤し、
そして、揺れ動きながらも、問い続けてきました。
この記事では、宗教二世の方が安心して心を開けるカウンセリングとは何か、
そして、“自分を感じる” “自分を信頼する”という体験の大切さについて、
臨床心理士として、また当事者としての視点からお伝えしていきます。
宗教二世の苦しさは「語りにくさ」と「自分の不在」
宗教二世の苦しさは、見えにくく、語りにくいものです。
信じきれていない罪悪感や教団への違和感、でも信じたい希望・・・
背信すれば、親を裏切ってしまい、
もしも周りの人との繋がりが絶たれてしまえば、
自分の存在の基盤が足元から崩れてしまう不安
信じなければ愛されないという思い込み──
けれど、それを誰かに話そうとすると…
−「育ててくれた親のことを悪く言うなんて」
−「宗教なんて、やめてしまえばすむんじゃない」
−「結局は、家族の問題でしょう」
そんなふうに、一般論で押し戻されてしまうこともあります。
さらに、世間で宗教の話題を避ける空気や“恥”の感覚が、
口を開く手前でブレーキをかけ、「話したくない」「話せない」状態を強めます。

多くの場合、社会的ルールを学んだり、
自分の気持ちを考えて言葉にすることを学んだりする、
ずっと前の年頃から、宗教的価値観の下で暮らしてきています。
教義を十分に理解しないままでも、
習慣として身体に刷り込まれてきていることも少なくありません。
その過程で、気づけば「ありのままの自分」という存在が見出されないままに、
自分が不在になる感覚が生みだされていくことがあります。
その結果、
「自分でもなぜ苦しいのか説明できない」という壁にぶつかり、
言葉にならない孤独の中に取り残されてしまうのです。
信仰への思いと、親への思いの重なり合い
信仰そのものへの尊敬や祈り──
たとえば「大いなるものを信じたい」「平和や命を大切にしたい」というような気持ち。
そして、親から愛されたい・受け入れられたいという気持ち。
この二つの思いが、いつの間にか重なり、絡み合って、ほどけなくなることがあります。

二つの“思い”が重なるときに起こること
- 良さそのものは否定できない:平和や命、自然、人との絆を尊ぶなどの宗教的価値観には、深く共感している
- 条件付きの愛情:教義や役割などの「こうあるべき」に従う=愛される/守られる、という関係が結果的に強まる
- 自分が遠のく:自分の本来の欲求や違和感や疑問を感じたり、出したりするほどに、親の愛情から遠ざかる気がしてしまう
これらの重なりの中で、「親を大切に思う気持ち」「信仰の良さを受け取りたい気持ち」があるほど、
自分の声をかき消してしまうことがあります。
やがて、ほどきようのないジレンマから、深い疲れや空虚さ、罪悪感が積み重なることがあります。
生き方の選択は、それぞれです。
親の愛情を求め、信者として生きていくことを選択する
信者という役割から離れる代わりに、親の愛情を諦める選択をする
どちらにもつかず、曖昧にという場合もあると思います。
どの選択も尊重される必要があります。
けれども、”諦め”の中に、悲しみや傷つきが心の奥に膨らんでいってしまう場合があります。
臨床心理学では、宗教は「扱われにくい」テーマ
心理の世界では長いあいだ、「カウンセリングで宗教をどう扱うか」について、
あまり深く話し合われてきませんでした。
そのため、宗教の話題は「触れない方が安全」と見なされて、フタをされてしまうこともあります。
一方で、強い信仰心や揺るがない価値観は、「防衛」「病理」「依存」のように
否定的に扱われてしまうこともあります。
ときには、議論が「洗脳を解くのか、解かないのか」という極端な二択に狭められてしまうこともあります。
特に「宗教二世」の場合、信仰は生まれたときから人生に深く入りこんでいるため、
単純に「やめればいい」「距離を置けばいい」だけでは片づけられません。
親の信仰が、自分のアイデンティティの奥深くにまで刻み込まれているからです。
だからこそ、とても繊細で、ていねいな扱いが必要になります。
見落とされがちな大切さ
宗教や信仰には、その人が受け取ってきた価値観・人とのつながり・祈りの気持ちといった、大切な側面もあります。
ですから、無視したり、成長を阻害する病理のように見るのではなく、
たとえ、一般的価値からすると、理解し難い教義や、教団の活動であったとしても、
その人にとってどんな意味を持ってきたかを丁寧に、言葉にしながら、確かめていくことが大切です。
「私」を主語にして考えることの大切さ
少しずつ、自分の体験を「私」を主語にして見つめ直すことは、
自分を取り戻す大きな一歩になります。
たとえばこんな問いがヒントになるかもしれません。
- 私は 何をしてきたのか
- 私は 何に安心を感じていたのか
- そして、私は なぜ信じたのか、これからどう生きたいのか
これらがもし重く感じたら、すぐに答えられなくても大丈夫です。
ただ心に問いを置いておくだけで、タイミングが来た時に自然と触れられることがあります。
少しずつ少しずつ、安心できる環境や、関係の中で、
自分の言葉をつむぎながら、問いを確かめていくことが大切です。
存在そのものへの悩み
親の信仰が前提にあって自分が生まれてきた場合には、
「自分が生まれてきた意味」に悩むことさえあります。
だからこそ、今のライフステージや、
これからの生き方の希望に合わせて、
ていねいに、慎重に扱うべきテーマだと言えます。
宗教や信仰の中にある大切さを尊重しながらも、
自分の気持ちを犠牲にしないで生きていける道を探すこと。
それがカウンセリングで大切にされるべきことです。あなたが受け取ってきた価値や、人とのつながり、祈りの思いは、大切な部分もある。
それでも、「自分の気持ち」を差し出すことと引き換えである必要はありません。
ほどいていくために──「自分の核」を身体で確かめる
言葉で説明しきれない複雑さは、身体の感覚から少しずつほどいていくことができます。
- 胸やお腹の温かさ・重さ・広がりなど、内側の身体のサインに気づく
- 「こうあるべき」に反応して体が固くなっていることを、やさしく観察する
- 安心を感じる場所を心身に見つけ、そこに戻ることを重ねる
私にとっての回復の手がかりは、セラピーで感じた、お腹の奥にふっと灯るような温かさでした。
それは誰かの正しさではなく、内側から立ち上がる“私”の感覚。
この小さな核に触れ続けるうちに、「従うこと=愛されること」という結びつきが少しずつ緩み、
自分の声で生きていいという実感が育っていきました。
言葉にならない苦しさこそ、身体で感じることからはじまる
宗教二世の生きづらさは、
言葉や思考だけではほどけない、
深く染みついた体感として残っていることがあります。
- 自分の気持ちがわからない
- 「私には何もない」「自分に物事は変えられない」
- 頭ではわかるけど、心が動かない
そんなとき、役に立つのは、
「自分のありのままの状態を身体で感じる」ことから出発するカウンセリングです。
言葉ではなく、身体の内側から感じられた“核”のような感覚。
他人の言葉ではなく、自分の内側にある感覚が頼りになるという実感。
それらが、自分への信頼へとつながり、自分らしいストーリーをつむぎ出していく源となっていきます。

「わかってもらえる」だけではなく、「自分を取り戻す」カウンセリングを
宗教二世のカウンセリングで大切なのは、
ただ「わかってもらえる」だけでなく、
自分の心と体、内側にもう一度つながることです。
- 信仰の背景を否定されず、でも過剰に同一化もされないこと
- 「何を信じるか」ではなく、「何を感じているか」に光を当てること
- 言葉にできない痛みも、身体感覚として丁寧に扱ってもらえること
そのような、安心して「感じても大丈夫」だと思える関係性の中で、
少しずつ、自分を取り戻していくプロセスがはじまります。
宗教二世のあなたへ──ひとりで抱えなくて大丈夫です
もしあなたが今、
「この話を誰かにしていいのかわからない」
「信仰を手放しても、心が晴れない」
そんなふうに感じているのなら、
それはあなたが弱いのでも、間違っているのでもありません。
それは、自分の人生に正直になろうとしているという心のサインです。
あなたの中に、ちゃんと感じられる力がある。
自分の内側に触れることは、ほんとうの安心への第一歩です。

安心して心を開けるカウンセリングを届けます
私は、宗教二世であることを背景に持ちながら、
臨床心理士として20年以上、さまざまな方と向き合ってきました。
今ここから、あなたの人生を生き直していくための、
静かであたたかな時間を、一緒に育んでいきませんか。
受け取ってきた価値やつながりを尊重することと、自分の気持ちを取り戻すことは両立します。
安易にフタをするのでもなく、一方的に”間違い”と片付けてしまうものでもなく、
あなたを主語にしながら一緒に確かめていきましょう。