History
親子のすれ違い、傷つき、思い通りにかない現実、抑圧、偏見、差別、病、障害、喪失体験、孤立・・・誰にでも、人生にはいろんなことが起こります。
私は、いわゆる世間で言われる「宗教二世」ですが、そのネーミング自体に辛く感じたことも。これまで、同じ思いを抱えた様々な方の手記や物語に何度も励まされてきました。
ここに記した私の物語は、私だけが感じてきたものではないかもしれません。
同じような経験をしてこられた方や、今悩みや苦しみの渦中にいる方に、少しでも何か参考になることがあればとの願いを込めて。
信仰家庭に生まれて
熱心な宗教の信者の両親の元に生まれた私は、生まれて間もなく入信しました。
両親は生活の中心が信仰で、どんなことよりも教団の活動が優先される日々。
それこそが自分自身や世界の人々が幸せに至る道であると信じていました。

教団の指導者への忠誠心について、教団の価値観について、日常的に教えられて育ち、
私にとっては、それが当たり前の毎日。
給食には、牛乳があるのが当たり前、家で靴を脱ぐのは当たり前、そんな感覚です。
宗教的な教義ではなくても、日常的に親や周囲の大人が自分の価値観を子どもに話し、
態度で示す、この影響は、大なり小なり子どもならば、
誰しもが受けていることでもありますが・・・
徐々に友達関係が広がる中で、あれ、うちには当たり前にあるものがよその家にはないらしい、
「これは隠しておかないと」「ここはみんなと話を合わせておいた方がいいみたい」
と感じ始め、
何かしら世間一般には理解されない、隠さなければならないものがあるという
恥の感覚や違和感が芽生え始めました。
明るく元気に振る舞うことで、そんな感覚は振り払っていたように思います。
良くも悪くも、表の自分と裏の自分を使い分けるようになったのかもしれません。
両親にとっての生きがいであり誇りである信仰を踏み躙るような態度や言葉は、
絶対的なタブーとして、幼い頃から肌で感じ取っていました。
幼心に、心の内側では何かしら常に漠然とした不安感、拠る辺なさがありました。
常に忙しくしていた両親とゆったり日常生活を楽しんだり、
一緒に遊んだりした記憶はほとんどありません。
常に疲れきっていた両親の姿をいつも見ていました。
幼い頃、困った時に誰からも手を差し伸べられなかった瞬間に、
自分自身から感情を切り離した瞬間の感覚を覚えています。
そんな私の性格の成り立ちは、大人になっても尾を引いていきました。
教団は、家族のような一体感の中で、大人に出会えば、
どんなときも皆温かく迎え入れてくれ、励ましてくれたり褒めてくれたりしました。
まるで教団の子どものように、壮大な夢物語の中で、
割り当てられた役割を演じ続けて生きていたようなところも
あったのかもしれません。
子どもの頃は、物質的には何不自由のない暮らしで、
苦手なことや嫌なこともあるけれども、
毎日は楽しいとも感じ、両親を慕ってもいましたし、誇りにも思っていました。
学校では、先生から気に入られるような良い子でもあり、
そんな自分を両親は喜んでくれ、可愛がってくれていました。
でもどこかで・・・
「本当の私を誰からも見られていない」「ずっと見過ごされ続けている」
「誰からも知られていない」という不安感や
外の世界に対する漠然とした恐怖のようなものが
ずっとあったのではないかと、今となっては思います。
なぜだかわからないけれども、
「〜をしなければ、大変なことが起こる」などの根拠のない怖さに、
子ども心に、誰にも言えず一人で怯えることがあったのです。
もともとの私の敏感さや不安の強さといった気質もありましたし、
「平和のために生きること」が正しい生き方、
そんな教義の影響もあったかもしれませんが、
今思えば、自分のネガティブな感情の蓋が開いてしまうも
怖かったのかもしれません。
時折、腹痛や頭痛といった身体の症状や、
ボーッとして感覚や考えを麻痺させるような症状もありました。
反発心が芽生えるも、自ら抑圧の道へ
思春期と言えば、一般的には反抗期。
私も、信仰や教団の活動への反発を態度で示したり、
母親に対する不満や怒りをぶつけることがありました。
けれど、いつも疲れきり、不機嫌で、苦労している母親の姿を目の前に、
私が母親を支えなければという思いとともに、反発心を持つ自分への罪悪感も強めていったのです。
両親の信仰の強要や、宗教の教義を後ろ盾にしたような抑圧も強まっていきました。
自己主張しようとするほど、プレッシャーは強まる。
そんな中で、この両親の世界、信仰の世界から抜け出したいという気持ちすらも持つこともできない、
深い諦めの気持ちや無力感が生じていきました。
当時は、漠然とした「死にたい」という思いとともに、
無力感と、自分への嫌悪、目標を見出せず勉強に身が入らない感覚だけがありました。

時折今でも思い出すのは、中学生の頃、
クラスメイトに少し試されるように、色鉛筆の「何色が好きか選んで」と言われて、
答えに窮した私に、
「あなたは誰にでも優しいよね。でも、そういうところがいつか命取りになるよ」
と言われた出来事。
その言葉が、妙に胸に突き刺さりました。
ただ周囲になんとなく合わせて過ごす一方で、
自分の感情が認められず、そして、自分で考える、選択するということを避け、
投げ出してしまっていた自分もいたのだと思います。
自分のあり方に、どこかしら違和感や不安を感じながらも、
自分ではどうすることもできずにいました。
そこに光を差してくれたものも、教団でした。
教団の指導者の本を読むと、そこには理想的な世界が描かれ、
美しく魅力的な言葉が並んでいました。生きる希望が湧いてくるように感じました。
そのような世界を作る一員に自分もなれば、何かにチャレンジでき、
特別な何者かになることができ、
自分への嫌悪感を払拭していける気がしたのです。
そして、教団の価値観や指導者の語る世界観に心を寄せるようになっていきました。
教団から逃れられない運命ならば、それを受け入れ、
信仰や教義を自分のものにして生きていこうという覚悟を強めていきました。
「生きること」=「苦しいこと」「何かに報いること」「頑張り続けること」
「欲求を持つこと」「楽しむこと」=「罪悪感を持つこと」
そんな信念を持つようにもなっていきました。
そんな中、少しは感じていた教団への些細な違和感や疑問、
教義を探求したいという思いも、
忙しさの中でいつしか埋没していき、
次第に自分で考えないようになっていきました。
教団の活動に没頭するほどに、忙しさが増し、
この信仰こそが幸せをもたらせてくれる唯一無二の絶対のものなのだという
信念をさらに強めていました。
自分が頑張ることで、教団の人間関係の中で認められることも、
自分にとっての喜びになっていたのかもしれません。
そして、じっくり立ち止まって考えることはさらにしなくなり、
そのような生き方に拍車がかかっていったのです。
まるで、回し車で走り続けるかのように。
思考停止状態とも言えるかもしれません。
「誰かに認めてほしい」で、とにかく頑張り続け、
「なにかを達成しないと」「このままではいけない」で、
結果を求めて限界までがむしゃらに動き続ける、そうしていることの方が楽でした。
それでチャレンジできたり、達成できたこともありました。
しかし、時折、電池が切れたかのように起き上がれなくなったり、
身体的不調も抱えるようになっていったのです。
結局のところは・・・
両親の世界から抜け出す、自分で自分について考え、
自分の本来の姿に向き合い、自分で選択していく、
自立していくということへの怖さや罪悪感が
私の心の奥底にずっとあったのだと思います。
子育てで浮き彫りになった抑圧してきた心
30代で結婚し、出産しましたが、そこからが苦しみの始まりでした。
一気にパンドラの箱が開いたのです。
長い年月、蓋をしていたもののツケが回ってきたように。
「認められたい」で、一人で頑張ってしまう私にとっては、夫婦関係も行き詰まりました。
若い頃、自分のキャパシティを顧みずに身体に鞭打って頑張り続けていたこともあり、
元々体力も乏しかった私は、出産時の困難やハードな乳幼児の子育てで、
さらに身体の調子を崩していきました。
子育てで初めて知った子どもへの愛しさ・・・けれど、同時に悲しみも溢れました。
子どもと共にやろうとすることのほとんど、
例えば一緒に絵本を読んで笑ったり、歌を歌ったり、手を繋いで散歩をして風を感じ花を見て・・・
何気ない日常の一つ一つが、自分の育てられた体験とは違うものばかり。
なにげなく聞いたしまじろうの歌の「生まれてきてくれてありがとう」の言葉に、ふと涙が溢れました。
今我が子に感じているその確かな気持ち、
しかし、私自身は、そのような眼差しでみられた記憶がない・・・
そんな感情が日々溢れ、何からも支えられていない孤独を強めました。
現実にはたくさんの人たちに支えられていたにも関わらず、です。
「私が築きたかった家庭はこれなのか」
そして信仰を自動的に子どもに受け継がせることは、「本当によいことなのだろうか」
様々な疑問について、ようやく自分自身で考え始めました。
仕事をしていくうえでも、自分の心と向き合う必要性を切実に感じていた私は、
対話による心理療法を受け始めました。
信仰についても取り上げられましたが、
信仰は、私にとって、空気と同じように、当たり前に心身に刻まれているものでした。
「洗脳」を指摘され、宗教に否定的なセラピストの価値観を感じとり、疑問を投げかけられた時、
偏見や差別の目を向けられているような強烈な恥の感覚が浮かび上がりました。
「脱会」の二文字を想像しただけで、震え上がるような恐怖が湧き起こりました。
「怖い」・・・けれど、「こんなに怖がってる私は、おかしくない?」
ふと、自分自身の反応に驚かされもしました。
憲法で信教の自由が認められていることは、知っていました。
けれど、自分と結びつけて考えたことは一度もありませんでした。
これ程の恐怖や不自由さに、自分の心が拘束されてきたことは何かがおかしいと、
自分が幼い頃から体験してきたことの問題、自分の影の部分を次第に認めるようになっていったのです。
そして、自分の成長のために、信仰や教団の活動を一旦手放す必要があるかもしれない
と考え始めました。けれど、それは容易でなく、辛い時期が続きました。
布地の一つの糸を解けば、全てが崩壊してしまうかのような、
そんな恐れに近いものがあったかもしれません。
どんなに、今の自分にとって良くないと考えられるものであっても、
自分が先に向かおうとする今の自分にもう合わない、似合わないと感じているものであっても、
大切にしてきたものを手放したくない、否定したくないと思う、不安、
そんな思いを抱えることは、多くの方が経験することの一つかもしれません。
私は、教団のお陰でたくさんの人々と触れ合い、様々な経験をし、
そのことで挑戦し行動できた部分もたくさんありました。
ときに寄り添ってくれ、励ましてくれた人も、教団の中にいました。
私が教団から離れることは、「恩知らず」の行為となり、
両親をはじめ、周囲を失望させることは明らかでした。
それを思うと耐え難く、胸が張り裂ける思いでした。
今まで生きてきたように、違和感に蓋をし続けていけば、
これからも何事もなく平穏に暮らしていくことができるのではないか、
そんな思いもありました。
そして、生まれてから40年近く拠り所にしてきた価値観、
ふるさとでもある居場所を手放すということは、過酷な体験となりました。
自分にとっての幸せとは何か、自分が何を求めているのか、
個としての私というものの感覚から生じる、生きていくための自分自身の言葉を、
これまでほとんど積み上げてきていなかったのだという現実に、
打ちのめされてしまったのです。

これまで信じてきた事柄、頑張ってき積み上げてきた事柄の全てが砂上の楼閣であったという感覚、
全てが崩れ落ちる感覚になりました。
自分はとても惨めで愚かな人間のようにも思われました。
膨大な時間やお金を、教団に捧げてきたことへの憤りや喪失感・・・
そして、親や教団、社会への恨みや怒り、人間不信・・・
セラピストに対しての不信感・・・
持病の悪化も重なり、さらに心身がボロボロになっていく感覚に陥りました。
焼け野原に立ち尽くすしかないような、
どこに進めばよいかの方向性も分からず、
何から手をつけて良いのかもさっぱり分からないような感覚に陥りました。
なんとか日常をこなす一方で、心では絶望のどん底を彷徨っているかのようでした。
ありのままの感覚や感情との出会い
その後、身体の不調も大きかった私は、
身体感覚も扱うソマティック(身体志向)心理学の手法によるセラピーを求め、
そこでのセラピスト達との出会いで、新たな自己の再建の旅の始まりました。
対話による心理療法では、私は、質問や疑問を次々投げかけられたとき、
言葉でセラピストに自分の思いを伝えるということ自体に、
恐怖や困難を感じ続けていました。
緊張や不安も大きかったのだと思います。
ソマティックなセラピーでは、ゆったりと身体の感覚に注意を向け、
安心感を築き、味わいながら、
そこに一緒にセラピストに寄り添ってもらい、
自身の感覚に従っていくことで、思いもよらない言葉やイメージや感情が湧き起こり、
それを自然と言葉にすることができました。
それは、温かく抱擁されるような、深い充足感を伴う経験でした。
全てを失ったという感覚に陥った際に支えとなったのは、
他ならぬ自分自身の身体が生きているという感覚や、
身体の中に確かにある心、そこに起こる様々な動き、エネルギー、実感、感情でした。
そしてそれは、自分一人では向き合い難い体験だったと思います。
身体で感じる安心という足場を少しずつ築いていくことで、
セラピストと一緒に、怒りや寂しさといったネガティブな感情についても
怖がらずに寄り添い、感じ、そしてそのままに受け止めていくという体験が、
少しずつ少しずつ積み重なっていきました。
一滴一滴の滴が、やがて水の流れとなるように・・・
そして、布地のどれか一つの糸を無理に取り除くというやり方ではなく、
全てを自分の一部として認め、声を聞き、肯定していく作業を積み重ねることで、
より暖かく優しい眼差しで、自分の過去や現在、
そして感情と向き合うことができるようにもなっていったのです。

次第に、自分との向き合い方の変化から、日常生活で起こる負の感情や苦痛も、
圧倒されるのではなく、以前より楽に向き合えるようになりました。
家族との関係も以前よりずいぶん楽になり、
より複雑な感情を心に置いておくことができるようになっていきました。
以前の私は、知らず知らずに白か黒か、正しいかそうでないか、の両極端の判断をしていたことにも、
気づき、どちらかではない、別の視点を持てる余裕ができる変化もありました。
あるときには、「怒ってはいけない」という揺るぎない信念や、
怒りの感情自体に対する恐怖を持っている自分の部分が、
心の中にあることに気づいていきました。
少しずつ、日常場面でも怒りに覆われすぎずに切り替えられたり、
その場での自分の行動をその場に応じて選択しやすくなっていきました。
宗教的な価値観の「正義」や「正しさ」「救われるべきだ」などの信念も
少なからず影響していたのかもしれません。
頭で、どちらが正しいかを判断するということだけに捉われず、
自分の感覚や感情と対話しながら、それを信じて、
必要でないものは自然と手放せる、そんな感覚が少しずつわかるようになっていきました。
次第に、心の中の嵐が止み、しっかりと現実に自分の足で立っている感覚が
掴めるようになっていきました。
自分の問題や現実から目を背けるのではなく、それらを認め受けいれながらも行動していく
という感覚が掴めるようになっていきました。
人にはそれぞれの感覚に即した、それぞれの価値観や選択や生き方があり、
どれも尊重されてもいいの、私は私であっていい、
私を大切にしていい、どんな感情も心に置いていい、
そう感じられる余裕を持てるようにもなっていきました。
特定の対象物に祈るわけではなくとも、祈り、願い、そうしたものは私の心にあり続けています。
例えば、ときには、空に向かって祈る、そんな風に心の赴くままに、
今ある自分の等身大の言葉を使って祈っていきたいし、そうしてもいい、と思うようになりました。
そして、自分の身体や自然とのつながりをより感じ、
大自然の中で生かされている命への畏敬の念を以前よりも実感しています。
自分自身の人生を自分の責任や判断のもとに、失敗してもいいから存分に生きる、
自分なりに楽しむということに関心を持つことができるようになりました。
「感謝したくても、できない・・・」と恨みや怒りとその罪悪感で心が覆われていましたが、
そのようなモヤモヤが晴れ、
ふとした時に、自然や家族、周りの人々、社会への感謝の気持ちが
感じられるようにもなっていきました。
そうすると、人間関係も無理に頑張りすぎず、
自然体で他者と繋がれる感覚が少しずつわかっていきました。
いつしか、朝目覚めた瞬間の、漠然とした生きることへの不快感が軽減し、
心身の不調や痛みとも恐れることなく対話するようになりました。
私自身も回復、成長への道のりの途上にいます。
カウンセリング・心理療法への思い
私は、長い間、対話によるカウンセリングや心理療法を行い、
クライエントさんと共にたくさんの感動的な体験もしましたが、
行き詰まりや限界も感じてきていました。
身体志向のアプローチと出会い、自分の成長にとっても、
クライエントさんとのセッションにおいてもとても有効なアプローチであると
実感しています。
言葉だけでは、クライエントさん自身も本当に言いたいことや伝えたいこと、
感じている気持ちになかなか到達できない・・・
過去を話すほどに、傷つきや変化への抵抗が前面に出てきてしまう・・・
そんなことも多くありました。
私たちは、生まれる環境や自身の特性を自分の意志で選択することはできません。
現実社会という大きな渦の中で、そして閉鎖された家庭の空間や親子関係において、
知らず知らずのうちに様々な価値観や信念を持つに至り、
心身ががんじがらめになってしまっていることがあります。
そして、時にトラウマとなる体験に遭遇してしまうことは、避けられないことかもしれません。
心の成長にとって、自らの影の部分を知っていく痛みは、必然の部分もあるのかもしれません。
けれど、現実を受け止め、過去の傷つきや心の痛みに触れていく作業は、
時にはリスクも伴う作業であるとも思います。
だからこそ、安心感をクライエントとセラピストが丁寧に慎重に共に築いていくということ、
その方の強みや、他者とのつながろうとする気持ちといった資源を
積極的に認め、大切にし、味わっていく作業が大切になります。
そうすることで、より安全に、そして諦めることなく、
前に進んでいくことが可能になる。
そして、そこまで深い痛みや過去に直面しすぎなくとも、話しすぎなくとも、
問題を問題視しすぎなくても、
心身の器を整えるやり方を知れば、
困難を消化して未来に向かっていく力が、
人には備わっていることも確信するようになりました。
人それぞれに、その感覚や表現やありよう、得意不得意、個性は実に多様です。
心の不思議さ、力、自由さ、奥深さ、闇・・・
に向き合い、そして、向き合ってもらってきて、思うこと。
誰もが、その人らしいその人の心を、心の声を、誰かに見守られ、聞き留められ、大切にされる、
そんな社会にしていきたい。
そして、かけがえのない人生を、あなたらしい感覚を大切にしながら、
この社会で主体的に生き抜いていけるようなお手伝いをさせてもらいたい。

あなたには、あなたに合ったセラピストを選択してもらいたい。
私が、その選択肢の一人であれたら。
どうかあなたも、あなたの心にある小さな声に耳を傾けてくれる誰かと出会えますように。